結婚相談所物語

背景を知る(1)

僕は幼い頃からあまりストレス


というものを感じたことがなかった。


勤務医の父と専業主婦の母は厳しくも


暖かい家庭で僕たち兄弟をのびのびと、


でも必要な手は充分かけて育ててくれた。


僕は自分の家が、


家族がとても好きだった。


それにあまり挫折というものを感じたことがない。


両親が上手く僕を導いてくれたし、


こう言っちゃなんだが僕自身言われることは


大概きちんとこなすことができたから。




2つ下の弟が東京の大学へ進学した時、


4人家族にちょっと歪みが生じたような、


もやっとした気持ちが芽生えた。


でも僕はやっぱりうちの家族は最強だと思っていた。


僕は就職をためらった。


人と違ったことをやりたかったから。


そうして思い切ってIT関連の事業を立ち上げた。


大丈夫。両親の後ろ盾がある。


何とかなる。


しかしそう甘くはなかった。


僕は生まれて初めて挫折を味わった。




僕がもがき苦しんでいる頃弟が結婚した。


ともにキャリア同士の職場結婚である。


弟は親の庇護から踏み出し


着実に力をつけながら自分の人生を歩んでいる、


そう感じて僕は焦った。


と同時に、誇らしかった、


そしてありがたかった僕の背景が急に疎ましく思えた。


親には感謝している。


弟は誇らしい。


しかしそれらがストレスに感じる。


なまじ立派な後ろ盾があったから、


なんの疑いもなく援助の手を差し伸べてくれたから、


だから僕はいけなかったんじゃないか?


そんなことを思うようになった。




母は僕の仕事が芳しくないことには知らん顔して、


僕の結婚を望んだ。


仕事が軌道に乗ってもないのに


何を夢物語みたいなこと言っているんだ、


と思ったけど、


それでも上手く導いてくれるんじゃないか


という幻影がまだどこかにあって、


それに母の望みを無碍(むげ)にすることも憚(はばか)られ、


言われるがままにした。




結婚相談所というのは不思議なところだ。


見知らぬ人と会話するのだから


さぞかし神経をすり減らすんだろうと思っていたが、


生身の人間とお喋りするというのは


存外心に安らぎを感じるものである。


自分はITといった無機質なものより


泥臭いことの方が似つかわしいのじゃないだろうか、


と考え始めた。


そして、今ならまだ勉強を教えられる、



若い子たちに勉強を教えるのもいいんじゃないか?と。




1人2人と生徒を増やし始めた頃、


彼女と出会った。


父親同士の職業が同じ、


関西を離れたくない、


僕が学生時代を過ごした京都が好き、


そういった細かいところで僕と符丁が合うと彼女は言う。


そこで僕は自嘲気味にこう言った。


大学までは確かに順風満帆でした、


でも親の援助で事業を始めたばっかりに


今はちょっと苦しんでいます、と。


こんな場で馬鹿正直にマイナスごとを言うなんて、


と思われたかもしれないけどしょうがない。


あるがままをさらけ出してしまうのが性分だ。


すると彼女は言った。


あなたのご家族、


素敵じゃないですか。


それに今はご自分で頑張っていらっしゃる、


あなたご自身、


ご立派じゃないですか。


そういった全部を引っくるめたあなたの背景、


素晴らしいじゃないですか。




僕は先端的なIT分野で新しいことをしていくことには


きっぱりと見切りをつけて、


勉強を教える方に本腰を入れた。


もはや親の援助は望まず、


でも何かあればきっと力になってくれるという


信頼と安心感は持って、


焦らず地道にやった。


そうするうちに形が見えてきた。


これで、


塾でやっていけるという確信が湧き、


いつしか僕の背景にストレスを感じなくなっていた。


僕の背景にあるものを


同じ視線で見てくれる女性と巡り合ったからかもしれない。


ともかく僕の心は解きほぐされ自由を取り戻していた。




いよいよ結納という日、


両親は立派な用意をしてくれた。


今の僕には過ぎているよ、


と思ったけれど父はきっとこう言うだろう。


我が息子の為に親がやることやって何が悪い。


親が子に出来ることをするのは当たり前だ。


だからといってそこに甘えるような


育て方なぞした覚えはないぞ。


そう、僕には最強の後ろ盾がある。


だから安心してお嫁においで、


と今なら言える。


マリッジ・コンサルタント 山名 友子