〔1〕 キャビンアテンダント 羽田恵
株式会社エムロードの大阪オフィスは、梅田の一等地にある。
周囲には美味しいランチどころもあるが、マリッジ・コンサルタントという職業をもつ優子は、ほとんど外でゆっくりランチをすることはない。
今日も、おなかが鳴った。
ぎゅっと胃のあたりに力を入れて受話器を握る。
「いっぺんだけでも、お見合いしてみられたらいかがでしょう。お母様もご心配してらっしゃいますし... 」
相手は32歳の病院務めのドクターだった。
手元に写真がある。
きれいな額の下の目が涼やか。やや古風だがなかなかのハンサムだ。
「忙しくて、休みの日は寝たいんですよ。母親が『ぼくが結婚せんと死んでも死にきれん』言うんで、登録してますけど」
優子は負けていない。
「じゃあもう一度、親孝行のつもりでお会いになってみませんか!うちでは、本当にこの方とぴったり、という方しかご紹介してません。だから必ず気に入っていただけるはずですよ」
ドクターはため息をついた。
「おせっかいやなあ... でも、ありがとうね」
その言葉には、優子もいったん電話を切らざるを得なかった。
受話器を置いてため息をつく。
部下の郁子がサンドイッチとコーヒーを置いてくれた。
「はい。優子さん。おつかれさまです」
色白でほわっとしていて心遣いがある。でも、郁子は仕事にはちょっと押しが弱い。
「郁ちゃん、あの人、どうなった?」
「ああ。スッチー... じゃなかった、キャビンアテンダントさんですか」
「そうそう。あの子、かわいらしいところあるものね。でもどんな人がいいのか、今ひとつわからないわねえ」
「ハンサムな方がいいんじゃないですか」
郁子は小首を傾げてぽつんと言った。
「ハンサムねえ」
優子はまた資料を繰り出した。
確かに、ハンサム、美人はポイントが高い。しかし、そうじゃなくてもちょっとした魅力がものすごい吸引力になることもある。
ちょっとした魅力。それは人それぞれだ。
ほとんどの場合、本人もその親も意識していない「よさ」が成婚のポイントになったりするのだ。
「ちょっと、CAさんの資料、もう一回見せてくれない?」
「はあい」
郁子がもってきた資料を、優子はまじまじと見る。
●氏名・羽田恵
●年齢・32歳
●職業・CA
●年収・700万円
●特技・茶道、華道、着付け
●趣味・旅行、料理、映画鑑賞
「... CAねえ」
優子はやっとコーヒーをひと口飲んだ。
彼女が母親と初めてここへやって来た日を思い出しながら。
〔2〕 母親の理想と娘の本音
「自慢の子」ほど、親はついてくる。
優子はその日も、それを確信した。
「なかなかね、国際線でヨーロッパ路線っていうのはエリートらしいんですよ」
母親は小鼻をひくっとさせて言った。
「お母さん... 」
恵は母親が自慢に走りそうになるのを目で制した。
優子はその様子を小さなメガネの下から上目遣いに見て微笑む。
「エムロードには優秀で素晴らしい男性がたくさん登録されていますからね。きっとおめがねにかなう方がいらっしゃると思いますよ」
「弁護士かお医者様はいらっしゃいます?」
「もちろんいらっしゃいますよ」
母親の顔がぱっと輝いた。
しかし、恵は浮かない顔だ。
優子はそれを見逃さなかった。
「恵さんは、どんな方と出会いたいんですか」
恵はきっぱりと言った。
「私、ときめきたいんです。お見合いで、そんなこと、可能でしょうか」
母親は目を見開いて言った。
「何言ってるの、この子は」
しかし、優子はきりっと口角を上げて言った。
「恵さんのおっしゃるのは当たり前ですよ。お母さん、結婚は条件だけではできないんです。一生ですよ。一生、寝食を共にするんです。子どもさんを生んで、夫婦でその子を一人前に育てていく。だから、ときめいて、この人しかいないって思わなかったら、結婚なんかできないんじゃないですか」
恵はうれしそうに笑った。
母親はちょっと憮然としていたが、優子の言葉に小さくうなずいた。
二人は丁寧にお辞儀して帰っていった。
恵もその母親も、色違いで高価なブランドのバッグを手にしていた。
「あら、お揃いですね」
「この子がパリで買ってきてくれたんです」
母親がうれしそうに言った。
恵は恥ずかしそうにしていた。
〔3〕 CA辞めますか?
あれから三度ほど、恵にお見合いを勧めた。
ドクター。弁護士。会計士。
一般的に人気の高い職業の人たちを紹介しても、恵は気のない返事をした。
関西近郊で内科病院を開業しているドクターには会ったものの、やはり恵は首を縦には振らなかった。
「お母さんはきっと気に入られると思うけどねえ」
優子はため息をついた。
「恵さん、これだけは譲れないという絶対条件を一つだけ教えて」
「この間、言ったんですけど」
「え」
「私、ちゃんと恋をしたいです。ときめく人がいい」
「... 」
優子は気づいた。
すでに年収もステイタスもある仕事をしている彼女にとって、高収入高学歴はたいしたことではないのだと。
彼女はもっと違う価値観を求めているのだと。
「二人でゆっくり話さない?」
優子は恵をオフィスに呼んで話すことにした。
普段着の恵は、化粧も薄く、洋服の好みも地味だった。派手な職種には見えないが、この間のバッグといい、時計といい、持ち物は高級だった。
優子は誘い水をかけてみた。
「CAって好きなもの買えていいわね。海外でいいものが安く買えるんでしょう。高くてあんまり行けないヨーロッパもあちこち旅行できて。楽しい仕事でしょ。うらやましいわねえ」
恵は切羽詰まったように言った。
「そうなんです。楽しいですよ。でもね、お金遣っちゃうし、体はきついし。休みも不規則で、デートもしづらいんです。だいたい、辞める人は30歳前に結婚して辞めちゃうんです。そういう人は幸せそう。40代とか50代になってパーサーまで登り詰めた先輩を見ていても、私は続けていくタイプじゃないのかなってこの頃思っちゃって」
優子は恵の素直な瞳をまじまじ見つめた。
「仕事、お辞めになったら」
「え」
「スチュワーデス。CA、もうお辞めになったら」
「... 」
恵は優子の顔を呆然と見た。そして右左にちょっと目線を泳がせた。
「そうですね。それもありですね」
「うん。結婚したかったら、先に辞めてしまうのもありかと思うわよ」
「考えてみます」
恵はきれいなお辞儀をして帰っていった。手元のバッグはこの間のとは違っていた。
優子はため息をついた。
1人でそこに座っていると、郁子がさっき恵に出したコーヒーを片付けにやってきた。
「結婚の素晴らしさ、語ってあげたんですか」
「いや、CA辞めたらって言ってあげたの」
郁子はびっくりしてお盆の上のカップをひっくり返した。
「なんでですか」
「結婚したいんだったら、それに集中したほうがいいと思うの」
「辞めますかねえ、彼女」
「辞めるわよ、きっと」
優子は眉間をぐりぐり押しながら言った。
数日後、恵から電話がかかってきた。
「優子さん、私、CA辞めます」
優子は受話器の前で笑顔をつくりながら、心の中では自分を引き締めた。
「あなたがそこまでホンキなら、絶対に大丈夫」
恵は穏やかに言った。
「ええ。私、結婚したいです」
受話器を置くと、同時に「責任」という重圧に押しつぶされそうになりながら、優子は小さく「よっしゃ」とつぶやいた。
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