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{2} 10年好きだったひと

 

  絵梨子は実家のある関西近郊の地元から離れ、大阪の都心で開業して市内でひとり暮らしをしていた。

 

 自分のマンションもエムロードから近いらしい。

 

 それでも平日は忙しい。

 

 特に春先の皮膚科は季節の変わり目の肌の不調を訴える患者が多く、大忙しだ。

 

 優子に会いにきたのは、夜の7時半を回っていた。

 

「すみません。今日は他の先生が来る日だったんで、もっと早く終わるはずだったんですけど」

 

「いえいえ。どうぞおかけになって」

 

 絵梨子はすっと背筋を伸ばし、少し足を斜めに揃えて腰掛けた。

 

 いつもそうして患者と美しい姿勢で向き合うのだろう。

 

 優子は日本茶を彼女の目の前に置くと、膝に手を置いて自分も背筋を伸ばした。

 

「うかがいましょうか」

 

「はい」

 

 絵梨子は少し視線をテーブルに落として、見えない何かをじっと見つめた。

 

「私、長いこと、好きな人がいたんです」

 

「長いことって... どのくらい?」

 

「1年かもしれないし、10年かもしれません」

 

「どういう意味?」

 

「付き合っていたのは、23のときの1年くらいの間です。妻子のある方でした。」

 

 珍しいことではない、と優子は自分に言い聞かせた。しかし、マリッジコンサルタントとしてはその言葉はあまり聞きたくない。

 

「でもその1年で終わったわけでしょう」

 

 コクリ、と絵梨子はうなずいた。今までの落ち着いたそぶりとは違って、その当時の年齢に戻ったかのようだった。

 

18歳年上の大学の先生でした。尊敬してたんです。

でも恋愛になると可愛らしいところがあって。

だけど、向こうは家庭を壊してまでっていう気持ちじゃなかった。

お嬢さんが二人いて、とてもいい父親みたいでした」

 

「そう。で、ずっと好きだったというわけ」

 

 優子は彼女の正直な告白に嫌な思いがしなかった。

 

「というか... 比べてしまうんですよね。

よく考えれば、あの時の相手は41歳。今はもう50過ぎてるわけですから、いろんな意味で別れてよかったと思うんですよ。

でもその時、男性としてとても魅力的だったんですよね。

年齢的にも、包容力が出てくる頃でしょう」

 

 絵梨子はもはやその恋を冷静に見つめている。優子はそう思ったが、確かめたかった。

 

「でも... 10年の思いは長いわね」

 

 一瞬潤んだかのような瞳をまばたきで元に戻して、絵梨子はきっぱりと言った。

 

「そうですね。でも90年近く生きようと思えば、ほんの10年です。あと40、50... ずっと一緒に生きていける人と出会いたいです」

 

 その強い視線に優子はすがすがしいものを感じた。

 

 そして心に決めた。

 

 国枝絵梨子のこれからの人生をこのすがすがしさでいっぱいにできる相手を見つけてみせよう、と。

 

「どんな方がいいかしらね」

 

 絵梨子はかわいらしい声で言った。

 

「癒されるような人がいいな」

 

「はあ」

 

「帰ったらまずおつかれさまと言い合えて、一緒にあったかいお茶を飲んでほっとできるような、そんな人がいいんです」

 

「ほっとできる人、ねえ」

 

 優子はその一瞬に思いを巡らせた。

 

 自分もそうだが、働く女はくたくたになって家に帰る。そこでまた家での仕事が多かれ少なかれ待っている。

 

 仕事のことをまったく忘れて、大事な人と微笑み合える瞬間が何より幸せで、宝物なのだ。

 

 絵梨子のように思いきり収入の多い女性にとって、相手の年収などさほど気にするべきものではないのかもしれない。

 

「ああ、そうか。」

 

 優子は分厚いファイルを繰る前に、印象に残っているある男性の顔をふと思い浮かべた。


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